Дорогие друзья!!
こんにちは。
本格的な寒さですがみなさんいかがおすごしでしょうか?
私事で恐縮ですが明後日コンサートを控えていて。
スクリャービンやチャイコフスキー
ロシア人の作曲家の曲を弾いていると
ほんとにイゴリンスキー教授やモスクワのことを思い出してしまって
とってもさみしくなります。
ロシア人の生徒たちは卒業後も先生と会ってアドバイスをもらったり
話したりできる距離にいるのがうらやましい限りです。
作品を弾く際に
これでいい、ここまででいい、
というものではないので終わりはなく。
「音楽はとても美しい。 けど 演奏するのは簡単ではないよ。」
と
イゴリンスキー先生に言われたのを思い出しました。
月: 2019年1月
映画 ボヘミアン ラプソディー
Дорогие друзья!!
こんにちは。
みなさん いかがお過ごしでしょうか。
話題の映画 「ボヘミアン ラプソディー」
少し遅いですが(笑)見に行きました。
高校生の時、 クィーンの曲 声 曲調 歌詞になんとなく惹かれて
はまって聴いた時期がありますが
ヴォーカルの人の生い立ちまでは覚えておらず。
”ロック魂”
みたいなものは
わたしが触れ合ったモスクワ音楽院の教授たち
グネーシン音楽院のピアニストのたまごを育てる先生たち
共通にながれていて。
非常に近しいものがあるなぁ、と。
なんで生きている?
どうやって生き抜く?
はやく 「大人」 になりなさい。
というセリフを
ショパンコンクールの覇者であるユリアーナ・アヴデェーエバを育てた
E.イワノーワ先生に当時言われていました。
その時の私は恥ずかしながら
その意味の深さがわからず
ただただ自分の欠点や劣等感に気を取られて大切な時間を悲しみに染めていたんだなぁ、と。
クィーン
また久々に聞いてみようと思います))
日本人
Дорогие Друзья!!
おはようございます。冬の朝の冷たい空気 大好きです))
数日前に ”ホロヴィッツの夕べ” を読んだ時の16歳のわたしの疑問に関して気になって 少し日本 日本人についてかんがえてみました。
日本といえばおもてなし文化ですが
高松国際コンクールの審査員でモスクワ音楽院の教授ボスクレセンスキー先生がいらっしゃったときに わたしは通訳としてお手伝いさせていただいたのですが、そのときのに 主催者側の ”おもてなし”に 本当に感動で。
その当時 留学から帰ってきたばかりのこともあって 同じ日本人として わぁ、そこまでするなんてすごいなー、と思うと同時に そんなにへりくだる必要があるのかなぁ、とも感じていました。
が、
時間がたってあらためて振り返ると ”おもてなし” はまさしく日本の文化なんだなぁ、と。
日本は島国 そして 高松 香川県はその中でも”四国” です。笑
”孤立性”
地理的なこともありますし言語に関してもそうです(日本語の独自性)が
それゆえ国際関係で示す極端な態度の説明にもなるし
日本人が感じている不安感についても説明することができるかもしれないなぁ、と思ったりしました。
すこし堅い内容になってしまいましたが、
日本人はどんな国民? というものは
西洋音楽を学びにモスクワで過ごしたわたしにとって
アイデンティティーの確立の通過点で無視できない ”問い”でした。
これから 海外で出て学ぼうと思っている人たち 学んできた人たち などなど アイディアを共有できたら楽しいだろうな、とおもいます。
告別式
Дорогие Друзья!!
こんにちは。2019年 あっという間に15日たちました。
昨日、平成最後の成人式があったようですね。
お祝いごとの中、毎年恒例(笑)色々な事件もあったようで
若いエネルギーいっぱいなんだなぁ、というかんじですね。
個人的なことになりますが、わたしはその日
尊敬する恩師の告別式でした。 毎日3時間の練習を欠かさず
芸術 音楽に対する情熱は計り知れず。
先生が好きなピアニストの話や
どうやって弾けばこのパッセージがよりよくなるか、ということを
語ってくれているときの姿が 鮮明に思い出されて。
ただただいまは実感がありません。
音楽と向き合って生きていく
一つの指針を先生の生き様から学ばせてもらいました。
先生、ありがとうございました。
心からお悔やみ申し上げご冥福をお祈りいたします。
告別式ではチャイコフスキーの曲がながれ
先生の写真の横にはスクリャービンに関する本が飾ってありました。
なんとも感慨深かったです。
ホロヴィッツの夕べ
Дорогие Друзья!!
こんにちは。2001年の9月から10か月間のグネーシン音楽学校留学中に
日記を書いていたのですが、いま読み返すと 当時の心細さや
自信のなさ 拠り所のなさに われながら可哀そうに思ってしまいました。笑
2002年の1月12日に ”ホロヴィッツの夕べ” を読んでいたらしく、
『東洋人は西洋音楽を演奏できません。真似することしかできないのです。
まるでロボットですよ。これだけは断言できますね。』
というところを抜粋していて。笑
当時16歳だったわたしには刺激的な言葉だったようです。
東洋人が西洋音楽をすること、というのは
文化の理解、というふうに今は受け止めているような気がします。
また久々に読み返してみたい本です。
鏡開き
Дорогие друзья!!
おはようございます!
髙松はとてもいい天気です。
今日は鏡開きですね。 神さまにお供えしたものには力が備わる
ということで神さまや仏様に感謝をしながらたべることによって
無病息災を祈願する、ということのようです。
願う、というのは ロシア語でнадежда といいます。
日本でももちろんそうですが
ロシアでわたしが接した恩師たちは
メールや手紙のやり取りや 会話 コミュニケーションをとるとき
必ずいつも相手に対して励まし と笑顔がありました。
モスクワで学んでいるときに 信仰心 というか
相手を信頼したり、音楽に対する真摯な姿勢、
を背中で教えてくれたのは 何よりの恩恵だな、と
離れた今はよくおもいます。
ロシア ピアニズム 広い意味では色々と解釈がありますが
わたしにとって実体験での ロシアピアニズム は
心からの真摯な姿勢でもって音楽と向き合って、ピアノを歌わせる、
ということでした。
あの独特の暖かさの空間 なんとも美しくって敬愛してやまないです。
ボルシチ Борщ
Дорогие Друзья!!
おはようございます。
毎日寒いのでお布団から出るのがつらい 日本ですが
ロシアは外はとーっても寒いですが
セントラルヒーティングのおかげで部屋の中は
あたたかく問題なく過ごせます。
暖房設備に関して日本は世界水準からは程
遠いなぁ。。と冬になる度に思います。
寒いとロシア料理がより一層懐かしくて。
ボルシチ は本当にほんとーにおいしくって 留学中
どれだけわたしを支えてくれたことか。笑。
真っ赤なビーツたっぷりのスープで
スメタナ(サワークリームのようなんですがそれよりももっと酸味があるものです)
をのせるボルシチ。
それに黒パンと一緒に食べるごはん、本当に大好きです♡
ボルシチはウクライナの伝統料理で
ロシア料理とは区別しなきゃいけないのですがウクライナはソビエト連邦の1つ
でもあったため 一般的に同じ扱いになっているようですね。
音楽の場合
楽譜の表記、時代区分、その当時の普通の感覚はどうだったか、と
細かく色々と教わりましたが、料理も同じく歴史があって。
ボルシチは “ウクライナ”の伝統料理 、とおもって
これからまたおいしく食べたいな♪ と思いました。
↑
この壺の中にボルシチが入っています。
まるで見えない写真ですみません!涙
ロシアのクリスマス
ロシア正教のクリスマスは1月7日です。
ユリウス暦を用いてるためズレがあります。なので
新年が明けてもこの時期まで
お祝いムードが続いています♪
日本でも年末年始は飲み会が重なる時期なので
どの国も同じですね。。。
ロシアのクリスマスで思い出すのが
霜おじさん と 雪娘
Дед Мороз и Снегурочка 。
リムスキーコルサコフのオペラ 『雪娘』 のアリア
の伴奏試験、懐かしいです。
そして
トレチャコフ美術館にはクリスマスシーズンの昔の風景や
霜おじさん 雪娘のすてきな絵画がたくさんあります。
文化が生活に溶け込んでくると
体験がより鮮やかになって、本当に素敵な時間を過ごせました。
振り返るとき 毎回思いますが
こういう体験をさせてくれた両親に そして
ここに至る道をつないでくれた人たちに改めて本当に感謝です。
С Новым Годом! 2019!!
Дорогие друзья!!
明けましておめでとうございます!
2019年が始まりました。
帰国後、Youtube でプーチン大統領の新年の挨拶を聞くことになりましたが
赤の広場の映像とともに 力強く詩的な言葉とそのあとに流れる国歌に
今年もいくぞー! という気にさせるなぁ、国歌ってすごく国のイメージを
反映させるなぁ、すごいパワーだなぁ、と毎年感心してしまいます。
留学中は年明けすぐ試験、ということもあって
日本に帰らなかったので 様々な人と年を越しました。
ある年は、友達と一緒に赤の広場に出向き お祝いしたときもあり、
アルコールは持ち出し禁止でたくさんの警官がいたのを覚えていますが
分厚いコートの中にお酒を忍ばせて 楽しんでいる強者たちもたくさんいまし
た!笑
シャンパンで乾杯をし コニャック ウオッカ に豪華なお食事
ほんとに楽しい思い出です!
2019年 どんな年になるかわくわくしていますが
笑顔あふれる1年になるように 精進したいとおもいますので
今年もどうぞよろしくお願い致します!