ブログ/DIARY

夢と想像力が守ったもの ― シュルレアリスムの時代

Дорогие Друзья!!

皆さま、いかがお過ごしでしょうか。

先日、
大阪中之島美術館で開催されているシュルレアリスム展を訪れました。
その中でも強く印象に残ったのが、スペインの画家
Salvador Dalí
の作品でした。

シュルレアリスムという芸術運動は、
第一次世界大戦後のヨーロッパで生まれました。
多くの人が、社会の価値観や未来への希望が揺らぐ時代を経験したあとでした。

詩人
André Breton
を中心に生まれたこの運動は、
現実の世界があまりにも混乱しているならば、
むしろ人間の内面、夢、無意識の中にこそ
新しい真実があるのではないかと考えました。

奇妙な風景、ありえない組み合わせ、
夢の中のような世界。

それらは単なる幻想ではなく、
不安な時代の中で、人間の想像力を守ろうとする試みだったのだと思います。

ふと、今の世界のことも考えました。

2026年の今も、
世界では戦争や緊張が続き、
ニュースを見れば心が重くなることもあります。

けれど、100年前の人々と私たちの間には、
一つ大きな違いもあるように思います。

私たちはまだ、美術館を訪れ、
絵を見て、音楽を聴き、
芸術に触れる時間を持つことができます。

それは、決して小さなことではないのかもしれません。

芸術は、現実から逃げるためのものではなく、
現実を見つめながらも、
人間の内側にある想像力を保つためのもの。

シュルレアリスムの作品を見ながら、
そんなことを感じました。

世界の大きな出来事を、
私たち一人ひとりが変えることは難しいかもしれません。

けれど、芸術に触れる時間の中で、
心の中に少しだけ余白が生まれる。

その小さな余白が、
また明日を歩く力になるのかもしれません。

100年前の人々がそうであったように、
想像力を手放さないこと。

それが、今を生きる私たちにできる
ささやかな希望なのだと思います。

#大阪中之島美術館

3月3日 ひな祭り🎎

Дорогие друзья!!

本日はひな祭りですね🌸

先日、六義園に行きました。

六義園の名前は、
『詩経』にある「六義」からきているそうです。

風・雅・頌。
そして、賦・比・興。

何をうたうのか。
どう表すのか。

その両方が、そこには含まれています。

風は、日々の素直な気持ち。
雅は、整えられた品。
頌は、祈りのようなうた。

賦は、そのままを丁寧に描くこと。
比は、たとえながら伝えること。
興は、ふと心が動いたところから始まること。

庭を歩きながら、
音楽も同じだなと思いました。

楽譜どおりに弾くことも大切。
でも、そこにどんな心をのせるかで、
音はまったく変わります。

ただ、まっすぐに。
その人らしく。

音も、人も、
少しずつ整いながら育っていくものだと
あらためて感じた一日でした。

皆さま、本日も
良い一日をお過ごしくださいませ🌸

#六義園

音のアトリエ🎶

Дорогие Друзья!!

皆さま、いかがお過ごしでしょうか😌

梅の花、少しずつ開花していますね。

先日、生徒さんから
「ここって、なんだかアトリエみたいですね」
と言われました。

その言葉を聞いたとき、
とても嬉しかったのと同時に、
どこか深く腑に落ちる感覚がありました。

子どもの頃、多くの人にとってピアノは、
正しく弾くこと、上手に弾くこと、
そして評価されることと結びついています。

コンクールや試験、合格と不合格。
音楽はいつの間にか、
「結果」を求められるものになっていきます。

けれど私は、
コンクールという場そのものを否定したいわけではありません。

真剣に音を聴き、
一音に向き合う経験を与えてくれる、
とても大切な機会でもあると思っています。

ただ、大人になってから
もう一度ピアノに向かおうとする人の中には、
少し違う願いが生まれることがあります。

誰かに勝ちたいわけではない。
完璧でなくてもいい。
ただ、自分の音をもう一度見つけたい。

私の教室に来られる方の多くは、
そんな静かな思いを胸に扉を開けてくださいます。

ここは、技術だけを磨く場所というより、
音と向き合いながら、
自分の感覚を少しずつ取り戻していく場所。

迷いながら弾く時間も、
立ち止まる時間も、
そのまま音楽として大切にできる空間です。

芸術大学のアトリエのように、
答えを急がず、
それぞれが自分の表現を探していく場所。

そう言われて初めて、
私が大切にしてきたものの形が
言葉になった気がしました。

もし今、
「もう一度、音楽とちゃんと向き合ってみたい」
そんな気持ちが心のどこかにあるなら、
そのタイミングはきっと偶然ではありません。

上手に弾けなくても大丈夫です。
音に触れたいと思ったその瞬間から、
音楽はもう始まっています。

この小さなアトリエで、
あなたの音に出会う時間をご一緒できたら嬉しく思います。

もうすぐ春ですね🌸

本番で起こること🎹 ̖́-

Дорогие  Друзья!!

皆さま、いかがお過ごしでしょうか☺️

先日、大人の生徒さんが、
京都コンサートホール・ムラタホールで
本番を迎えました。他の参加した皆さまの演奏も
客席で聴きながら、あらためて感じたことがあります。

本番では、不思議なことが起きます。
いちばん伝えたい瞬間ほど、音が遠くへ届かなくなることがあるのです。

気持ちが強くなった瞬間、身体は無意識に音を「押し」始めます。
前へ、強く、確かに届けようとしてしまう。

すると音量は増しているはずなのに、響きはなぜか狭くなる。
ホールで聴いていると、その違いがはっきりと現れます。

ボクシングや相撲で、本当に力のある人が押し続けないのと少し似ています。
触れている一瞬に、力そのものではない“通っていくもの”がある。

ピアノの音も同じなのかもしれません。
出そうとした音よりも、触れた瞬間に余計な力が抜けた音のほうが、自然に遠くまで響いていきます。

音を大きくすることよりも、
音が通っていく瞬間に気づけること。

その感覚を、これからも一緒に探していけたら、
と思いました😌

参加された皆さま、
おつかれ様でした🥂✨

懐かしの大好きなブリヌィ🥰🫶

箕面・東京建物 Brillia HALL✨🎶

Дорогие друзья!!
皆さま、いかがお過ごしでしょうか😌

先日、生徒さんが企画してくださり、
ホール練習を行いました。
会場は箕面にある「東京建物 Brillia HALL」。

明るく美しい空間で、音が無理なく遠くへ伸びていく、とても心地よいホールでした。

ホールでの練習の魅力は、「空間を音で満たす」という体験ができることにあります。
普段のレッスン室では、どうしても指や音量に意識が向きがちですが、ホールでは音が響いている時間そのものを感じながら演奏することになります。

どのような打鍵が、どのような音色となり、どのくらいの距離まで届いていくのか——音を“出す”のではなく、“育てる”感覚を学べる貴重な時間です。

今回参加された皆さま、お互いの演奏に静かに耳を傾け、響きを探し、音色を整えていく、その姿からは、大人になっても音楽と向き合う方ならではの真摯さが感じられ、わずか数時間の中でも音がみるみる変化していく様子が印象的でした。指導する立場として、その成長を間近で感じられたことをとても嬉しく思います☺️

ホールという場所は、大きな音を求めるためだけの空間ではなく、むしろ繊細な音ほど遠くまで届くことを教えてくれます。音量ではなく音色で伝えること、自分の音を客観的に聴くこと——こうした経験は、音楽をより深く味わい、長く楽しんでいくための大切な土台になります。

私自身、地元・高松にいた頃からホール練習が大好きで、音楽の本質に立ち返ることのできる時間だと感じてきました。大阪でも、このように音と丁寧に向き合える機会を、これからも続けていけたらな、と思っています😌

音と向き合うこうした時間が、それぞれの中に新しい響きを残して、弾くことの喜びを感じてくれたら何より嬉しいです🌸

参加された皆さま、
遅くまで本当にお疲れ様でした♬⋆.˚

#箕面市立文化芸術劇場

フィガロの結婚

Дорогие друзья!

皆さま、いかがお過ごしでしょうか😌

昨日はバレンタインデーでしたね🧚

愛や気持ちを伝えるという出来事は、とても個人的なもののようでいて、実は人と人との関係そのものを映し出す瞬間でもあります。

そんなことを考えながら、この数日、モーツァルトのオペラ《フィガロの結婚》にすっかり惹き込まれていました。

18世紀後半、この作品が生まれた時代は、社会の価値観が静かに揺らぎ始めた時期でした。
身分によって人の価値が決まるという前提が、少しずつ疑われ始めていた時代です。
《フィガロの結婚》は、その変化を声高に語るのではなく、恋愛や誤解、嫉妬や駆け引きといった日常の出来事の中に忍び込ませています。

召使いであるフィガロとスザンナは、権力を持つ伯爵よりも状況を正確に読み取り、知恵によって物語を動かしていく。
力の時代から、理解と観察の時代へ――そこには社会の転換が確かに描かれています。

けれど興味深いのは、モーツァルトが決して貴族を単純な風刺の対象として扱っていないことです。

伯爵や伯爵夫人に与えられた音楽には、明らかに厳かさと気品が残されています。
もしこの作品が単なる社会批判であったなら、音楽はもっと戯画的になっていたはずです。

それでも彼は、権力者にも内面を与えた。
それは上演を可能にするための作曲家としての機転だったのかもしれませんし、同時に、人間そのものへの敬意でもあったのではないでしょうか。
社会的立場が揺らいでも、人間の尊厳までは否定しない――その視線の成熟に、作曲家の知性を感じます。

そして何より驚かされるのは、音楽と人物像の一致です。

フィガロの音楽には機転と運動性があり、
スザンナには現実を見抜く軽やかな知性があり、
伯爵夫人の旋律には、失われつつある愛を静かに見つめる時間が流れています。

音楽が感情を説明しているのではなく、
音楽そのものが人格として存在している。

旋律、和声、リズムの選択が、その人物の思考や倫理観までも語ってしまう。
ここに、モーツァルトという作曲家の異様なまでの洞察力を感じずにはいられません。

物語の終幕で訪れるのは、勝利でも断罪でもなく「赦し」です。
すべてが暴かれたあと、伯爵夫人が選ぶのは復讐ではなく許しでした。

恋愛においても、人間関係においても、正しさだけでは関係は続きません。
相手を理解しようとする想像力――それこそが、人と人を結び続けるものなのかもしれませんね…

250年以上前の作品でありながら、私たちの現在とこれほど静かに響き合う理由は、
モーツァルトが時代ではなく、人間そのものを書いたからなのでしょう。

……とはいえ、あれこれ考えながら過ごしたあとにいただく、美味しいチョコレートはやっぱり格別ですね🤭

建国記念日

Дорогие друзья!!

皆さま、いかがお過ごしでしょうか😌

今日は建国記念日。

日本という国の強さは、
どこにあったのだろうと考えました。

かつて日本人は、漢字や漢文という中国から来た高度な文化と出会いました。

それを拒絶するのでもなく、
ただ真似をするのでもなく、

時間をかけて消化し、
仮名を生み、
独自の読み方を作り、
自分たちの文化へと変えていきました。

日本の強さは、
「純粋さ」ではなく、
外来のものを自分の力に変える柔軟さだったのかもしれません。

ピアノも同じです。

私たちが弾いているショパンも、バッハも、ベートーヴェンも、
もともとは遠い国の文化です。

楽譜もまた、最初は意味のわからない記号。

けれど、それを繰り返し読み、
音にし、
身体を通していくうちに、

それは「外国の音」ではなく、
自分の音になります。

国を支えたのは、一部の天才ではなく、
日々学び続けた人たちでした。

音楽も同じです。

舞台に立つ一人の演奏家だけでなく、
毎日地道に楽譜と向き合う人たちが、
文化を支えています。

教養は、今では
特別な人のものではありません。

ゆっくりでも、自分の力で消化していけば、
それは確かな「素養」になります。

建国記念日に、
日本という国が外来文化を受け止め、
自らのものへと変えてきた歴史を思いながら、
音楽もまた、
そうして受け継がれていくものだと感じています。

友人から梅の写真が送られてきました🤭

春もすぐですね😌

音楽が問いを残すとき。

Дорогие друзья!!

皆さま、いかがお過ごしでしょうか😌

週末、選挙ですね。

社会の行方や、

誰に期待するのかを、

あらためて考える時間でもあります。

そんなとき、ふと思い出すのが、

ベートーヴェンの交響曲第3番《英雄》です。

この作品はしばしば「革命の音楽」「英雄讃歌」として語られますが、その内側には、政治に理想を託したことの虚しさが静かに刻まれています。

《英雄》は当初、

ナポレオン・ボナパルトに献呈される予定でした。

フランス革命の理念を体現する存在として、ベートーヴェンは彼に強い期待を寄せていたのです。

しかしナポレオンが皇帝に即位したと知った瞬間、その名は表紙から激しく書き消されました。

この逸話が示しているのは、

単なる政治的失望ではありません。

むしろ、期待の置きどころを失った人間の姿そのものです。

それでもベートーヴェンは、この交響曲を捨てなかった。

英雄という言葉は、特定の人物から切り離され、音楽の中に抽象的な概念として残されます。

音楽学者チャールズ・ローゼンが指摘するように、

ベートーヴェンは晩年、

すでに時代遅れになりつつあった作曲様式をあえて使い続けていました。

ヴェーバーやフィールドら若い世代が離れていった形式を、彼は極端なまでに簡潔に提示し直し、

その限界を押し広げていったのです。

それは、新しさを追い求める姿勢ではありません。

流行から距離を取りながら、過去に身につけた言語で、なお語り続けるという選択でした。

耳が聞こえなくなり、ウィーンの音楽界から次第に孤立していったベートーヴェンは、50歳の頃には、すでに別の時代に属する人間のように見えていたといいます。

それでも彼は、

政治や時代に過剰な期待を託すことなく、

音楽そのものに問いを残しました。

社会が大きく揺れ動くとき、

私たちはつい「英雄」を求めてしまいます。

けれど音楽は、答えを与えるよりも先に、

立ち止まり、考え続けるための問いを、

そっと差し出してくれるのかもしれません。

発表会でいただいたお花💐 今日も綺麗です✨

映画 『国宝』を観て

Дорогие друзья!

皆さまいかがお過ごしでしょうか😌

少し遅くなりましたが、映画『国宝』を観てきました。

今にでも名を残す作曲家や演奏家、

分野は違っても、何かを極めていく人たちには、

共通する感覚があるのだと思います。

それは、

熱中して追い求めている最中に、

その芸に対して

憧れ、憔悴、そして陶酔が入り交じるような、

抗えない感覚に取り憑かれていくこと。

美しいだけではなく、

苦しく、時に残酷で、

それでも目を逸らせない。

『国宝』では、

そのどうしようもない感覚が、

非常に見事に表現されていました。

私自身、ピアノを通して、

恩師とともに作品を仕上げていく過程で、

あの感覚に覚えがあると感じました。

恐らく、その時間があったからこそ、

今も私はピアノから離れずにいられるのだと思います。

作品とともにある時間は、

どこか幻想的で、美しいものです。

ピアノ、そして音楽が好きな人たちは、

きっと皆、

この感覚をどこかで共有しているのではないでしょうか。

ピアノ発表会🎹

Дорогие друзья!

皆さま、いかがお過ごしでしょうか😌

先日、地元・高松にて、
母とのピアノ発表会、無事に終えることが
できました😌

地元開催ならではの
懐かしい再会もあり、毎年、発表会を通して
ご縁を確かめ合える時間の尊さを
年々感じています。

大学生になってピアノサークルに入った生徒さんが、2年ぶりに戻ってきてくれたり、
大阪からの生徒さんも参加してくれて、
今回も賑やかで心に残る発表会となりました。

何十年続いている母の発表会は、
生徒さん同士の再会の場でもあり、
関わってきた人たちにとっての
特別な時間になりつつあることも、
とても嬉しく思います。

そして、調律師さん、
ステージ裏で支えてくださった皆さま、
当日お手伝いしてくれた父兄の皆さまの存在。
多くの人に支えられて、
この発表会が成り立っていることに
心から感謝しています。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

 

#ピアノ発表会 #サンポート高松

茶の時間と、音楽の時間。

Дорогие друзья!

皆さま、いかがお過ごしでしょうか😌

先日、パティーナ大阪の「にじり」にて開催された煎茶の会のお手伝いに入っていました。

大阪を拠点に、煎茶文化を通して詩・書・画の世界を今に伝える<文人会一茶庵>

の文會。特別な時間でした。

干支「午」にちなみ、

「一滴のお茶から、吉祥を祈る」。

“うまくいく一年になりますように”という願いを、一服のお茶に託す。

静かな所作の積み重ねの中に、確かな時間の流れを感じました。

この煎茶の会に身を置きながら、ふと岡倉天心の『茶の本』のことを思い出していました。

『茶の本』は主に抹茶文化を背景に書かれたものですが、天心が語っている「茶」とは、特定の作法や形式を超えた、生き方そのものだと感じています。

天心は、人生を理想や完成へ向かう直線としてではなく、

「身の回りの状況を調整しながら生きる営み」として捉えていました。

嘆かわしい現実の中にあっても、なお美を見いだそうとすること。

そこに、茶の精神があるのだと。

思えば私は、幼い頃から茶のある空間に身を置いてきました。

祖母はお茶を嗜み、実家には茶室がありました。

小さい頃から、お運びを手伝うのは日常の一部でした。

そして、少し不思議なことに、私はその茶室にピアノを置いて練習していた時期があります。

実家のピアノレッスン室は、母が使っていたため、自然とそうなりました。

畳の上、静かな空気の中でピアノを弾く。

今思えば、それは決して整った環境ではなかったけれど、

与えられた状況の中で折り合いをつけ、音と向き合う時間だったように思います。

結婚後、主人が煎茶家であることもあり、茶会のお手伝いに入るようになりました。

そこで流れる時間は、音楽ととてもよく似ています。

完璧を目指すのではなく、今この瞬間に集中し、微細な変化に耳を澄ますこと。

調整の連続の中で、束の間の調和が生まれる。

音楽活動もまた同じです。

音楽だけでなく、経済のこと、人との関係、健康のこと。

さまざまな条件の中で、私たちは生き、音を奏でています。

そこに完成や到着点はありません。

それでもなお、日常の中に美を見いだそうとすること。

それが、音楽家としての時間の引き受け方なのではないでしょうか。

1月31日には、地元・高松にてピアノの発表会を予定しています。

大先輩であり、大尊敬の母の発表会に参加させて頂ける次第です。

世代を越えて積み重ねてきた時間が、ひとつの場で響く、そんな一日になればと思っています。

茶の時間も、音楽の時間も、

不完全な世界の中で、美を探し続ける営み。

そのことを、あらためて感じさせてくれた文人煎茶一茶庵の文會でした。

ピアノ発表会、お時間が合いましたら、ぜひお聴きいただけましたら幸いです。

#パティーナ大阪 #にじり #文人煎茶 #ピアノ発表会

イメージしている音と、実際に出ている音のあいだ 🪐

Дорогие друзья!!

皆さま、いかがお過ごしでしょうか。

発表会が近づくこの時期、

多くの方が同じ壁にぶつかります。

「頭の中では、もっとこう鳴っているはずなのに」

「こんな音を出したいわけじゃない」

特に、大人になってからピアノを始めた方ほど、

音の理想像と現実の音のあいだに

大きなギャップを感じやすいものです。

実はこのギャップは、

練習不足だけが原因ではありません。

多くの場合、

  • 自分が出したい音
  • 作曲家が想定していた音
  • 頭の中で描いている風景

この3つが、まだ一つに結びついていないのです。

「綺麗な音を出しましょう」とよく言われますが、

音楽はそれだけでは成り立ちません。

作曲家によっては、

• 荒れた風景

• 冷たい空気

• 不安や緊張

• 静かな祈り

そうした美しくない世界

あえて音にしていることもあります。

その世界観を無視して

ただ“整った音”を出そうとすると、

音は平面的になってしまいます。

では、どうすれば

出したい音に近づけるのでしょうか。

私は、

音を変える前に、イメージを変える

ことが何より大切だと考えています。

頭の中で見えている風景が変わると、

不思議なほど、

タッチ・呼吸・間の取り方が変わります。

結果として、

同じ指・同じ楽器でも

音が変わっていくのです。

1月31日の発表会に向けて、

「間違えずに弾く」だけでなく、

  • 自分はどんな音を出したいのか
  • どんな景色を見ているのか

ぜひ、一度立ち止まって

考えてみてください。

音は、

指より先に、心とイメージから生まれる

私はそう思っています。

今日の一枚はモロッコ在住の心友から届いた写真です。

音のイメージについて考えていると、

こうした遠い場所の空気まで

ふと頭に浮かぶことがあります🧚

#ピアノ発表会 #大人のピアノ

香雪美術館🖼

Дорогие Друзья!!

皆さま、いかがお過ごしでしょうか😌

最近思ったこと、音楽とは、
人が人生をかけて問い続けた痕跡に、
別の人間が静かに立ち会う行為、
だな、と。

先日訪れた、香雪美術館。
絵画の前に立つと、
長い時間をかけて積み重ねられた思考や沈黙が、
こちらに語りかけてくるように感じました。

評価や結果ではなく、
「問い続けた時間」そのものが、
作品としてそこに在ること。

ピアノも、私にとっては同じです。
何かを証明するためではなく、
自分の内側を見つめ、

深めていくための媒体。

そして
明日は成人式。

人生の問いは、
大人になってからの方が
むしろ深くなるのかもしれません。

音楽や絵画は、
答えをくれるわけではないけれど、
問いとともに在る時間を
静かに支えてくれる。

絵画にせよ、
音楽作品にせよ、
静かに立ち会う、
という行為は、実り多いですね。

20歳の皆さま
おめでとうございます🎉



Music is the trace of a life spent questioning,
quietly witnessed by another.

At the Kohsetsu Museum of Art.
This feeling stays with me.




#香雪美術館 #音楽作品 #成人式

2026年🎍🌅🎍

Дорогие Друзья!!

明けましておめでとうございます🎍

2026年もどうぞよろしくお願いいたします。

最近は、美術館を訪れたり、

お気に入りのカフェでゆっくり過ごしたりしていました☕️🎨

その時のことも、また少しずつ投稿していきたいと思います。

そして、1月末には高松でのピアノ発表会を控えております🎹✨

今からとても楽しみで、ワクワクしながら準備を進めています。

また発表会についてもお知らせしていきますので、

よろしければぜひご覧ください🌷

今年も音楽とともに、

心がふっと動く時間を大切にしていけますように。

皆さま 今年も何とぞ

よろしくお願いいたします‼️

#2026 #香雪美術館 #大阪天満宮

#Pianolife

ピアノマスタークラス🎹

Дорогие друзья!!
皆さま いかがお過ごしでしょうか😌

数日前ですが、

尊敬しているピアニスト、
アレクサンダー・コブリン教授が
大阪音大のマスタークラスで大阪に来てくださいました。

”世界中に無数にいるピアニストの中で、
コピーペーストされたような演奏ではなく、
何を語りたいのか、
自分自身の何を語ろうとしているのか。
それが伝わる演奏にして欲しい。それが無ければ、音は音のままで終わってしまう。”

今回のマスタークラスで、
その言葉の重みを、私は改めて深く実感しました。

グネーシン、そしてモスクワ音楽院という
同じ教育の流れの中で育った者として、
「すべては表現のためにある」という価値観が、
問いの立て方、

言葉の選び方、

そして何より音そのものから
強く、まっすぐに伝わってきました。

技術の先にあるもの。
正しさの先にあるもの。
自分はこの音楽で、何を感じ、語りたいのか。

その問いを持ち続けることこそが、
演奏家として、音楽家としての原点なのだと、
心が震えるほど教えられた2日間。

またお会いできる日まで、
私も学び続けていたい。
そう強く思わせてくれる時間でした。

先生、貴重なお時間本当にありがとうございました🌹

#ピアノマスタークラス #Alexanderkobrin

ベルナール・ビュフェ展

少し前ですが
香雪美術館で開催されている
ベルナール・ビュフェ展へ行ってきました。

戦争という不条理な時代を若くして経験したビュフェ。
鋭く、濃く、そして容赦なく描かれる直接的な線の中には、
彼自身の死生観や、世界への強い反抗と諦念が
複雑に渦巻いているように感じます。

その激しいエネルギーは、
かつてピカソと比較されるほど圧倒的だったと言われています。

ビュフェが描いたパリの景色を眺めていると、
絵の中の孤独と光が、遠い街への想いとゆっくり響き合いました。

シーシュポスの神話を通して
「不条理の中でなお生を肯定する」というカミュの言葉、
そしてサガン『悲しみよこんにちは』の
淡い影とまぶしい光。

それらすべてが、ビュフェの世界と混ざり合いながら、
静かに私の中で音に変わっていくようでした。

絵画も文学も音楽も、
同じ“時代の感情”を共有して響き合う。
そんな確かな余韻を抱いた一日でした☕️✨

#香雪美術館#ベルナール・ビュフェ#ジャン・ジオノ

ロシア大使館でコンサート🇷🇺🇯🇵✨

Дорогие друзья!!

2025年、気づけば

残り1ヶ月となりましたが、

皆さまいかがお過ごしでしょうか😌

12月1日に駐日ロシア大使館で行われた

コンサート、無事に幕を閉じました💐

東京では、懐かしい方々に再会し、

たくさん話して、笑って😂

心温まる時間となりました😊

大阪に戻り、また新たな1歩を

踏み出します💪✨

“собрались на замечательное мероприятие, такого еще не было никогда – концерт выпускников российских музыкальных учебных заведений! За эту замечательную идею мы должны особенно поблагодарить оргкомитет Фестиваля российской культуры в Японии и лично г-на Хидэо Нагацука.

Сегодня перед нами выступят несколько поколений выдающихся японских артистов – ветеранов сцены и тех, кто только еще начал этот трудный и прекрасный путь. И всех их объединяет учеба в России, многолетнее сотрудничество с российскими коллегами.
То, что Вы сегодня здесь – это акт мужества, это знак того, что Вы не отказались от своих учителей и коллег, сохранили верность принципу «искусство вне политики, искусство не имеет границ, искусство служит высшим идеалам гуманизма».
Выражаем всем Вам искренние благодарность и уважение!”

By Russian house in Japan

帰り道の東京タワー🗼✨

#ロシア大使館#東京タワー#大使館コンサート#旧友との再会

ラドスワフ・ソプチャク先生🇵🇱🎹

Дорогие друзья!!

11月も中旬ですね🍁

皆さま いかがお過ごしでしょうか😌

今月の頭に、ポーランドからラドスワフ・ソプチャク先生をお迎えし、待望のマスタークラスが行われました。

終始エネルギッシュで、生徒一人ひとりの音楽に命を吹き込むようなレッスン😳

先生の一言一言に、音楽への情熱と深い洞察が込められていて、受ける生徒さんの表情がみるみる輝いていくのが印象的でした。

中には、大曲2曲を2時間続けて受講した生徒さんもおり、

「気づいたらレッスンが終わっていて、あっという間でした!」と驚きの声が。

特に印象的だったのは、ショパンのエチュードを指導されていたときの先生の言葉。

「ここはモーツァルト、モーツァルト‼️」

その瞬間、私の脳裏に敬愛するゴルノスタエヴァ先生の言葉がよみがえりました。

「ショパン、

彼はもちろんロマン派の人間です。

けれども、画家ドラクロワは日記にこう記しています。

『彼は公然とロマン派の側に立った。だがその旗には “モーツァルト” と書いていた。』

― まさにそこからすべてが始まるのです。

モーツァルトを崇拝したロマン派の人、それがショパンです。

彼の音楽には、モーツァルトに通じる簡潔な美しさが息づいています。」

アフマートワがプーシキンについて語った

「息をのむほど見事に凝縮された短さ」という言葉を借りるなら、

ショパンの中にもまた、モーツァルトの音楽に通じる

“節度と澄んだ美しさ” が、熱く豊かなロマンの感情と溶け合っているのだと思います。

ソプチャク先生はまさに、その「美」と「情熱」の両方を伝えてくださる素晴らしいピアニストであり、教育者です。

再び我々のもとに来て下さること、今から皆で楽しみにしています☺️

先生、素敵な時間を

ありがとうございました💐*·̩͙𓈒𓂂𓏸

#ラドスワフソプチャク#ピアノレッスン#ショパン#ショパンコンクールinasia#モーツァルト#ゴルノスタエヴァ#Polandpianist#大阪ピアノ教室#ショパンピアノコンクール#chopin#radoslawsobczak

ショパンコンクール2025🇵🇱

Дорогие друзья!!

10月も下旬に突入し、朝夕の空気に、冬の気配が少しずつ混じるようになりました🍁

皆さま、いかがお過ごしでしょうか😌


さて、

このたび、エリック・ルー(Eric Lu)さんが

2025年ショパン国際ピアノコンクールで見事第1位に輝かれました。

おめでとうございます!

そして、彼が演奏したのは――
ショパンのピアノ協奏曲第2番。
1980年にアジア人として初めてこのコンクールで優勝された
ダン・タイソン(Đặng Thái Sơn)先生も、
同じくこの協奏曲で1位を獲得されました。

師と弟子、そして同じショパンの「第2番」。
45年の時を超えて、音楽の魂が受け継がれていることに
深い感動と、言葉にできないほどの敬意を覚えます。

音楽とは、時を越えて人の心をつなぐもの。
歴史が紡がれ、再び新たな光を放つ瞬間に立ち会えたようで、
胸が熱くなります。

エリック・ルーさん、本当におめでとうございます💐🤍
これからの音楽の旅を、心より応援しています。

#ショパンコンクール2025#Ericlu

ピアノ発表会💐

Дорогие Друзья!!

皆さま、いかがお過ごしでしょうか😌

今回もたくさんの温かいご縁に支えられた発表会でした。
高松や横浜から参加・応援に来てくださった方々、
ロシア時代にご縁のあった方々、
本当にありがとうございました💐

そして、後輩の堀江詩葉ちゃんが
演奏会を終えたあと駆けつけてくれて、
一緒に舞台に立てたことも嬉しい思い出です🎶
詩葉ちゃん、
本当にありがとう😌

子どもたちも、大人の方も、
一人ひとりが真剣に音と向き合い、
一生懸命弾く姿が本当に輝いていました✨
この気持ちを大切に、また来年に向けて頑張っていきたいです。

応援してくださった皆さま、ありがとうございました!
今後ともどうぞよろしくお願いいたします☺️🎵

北大江たそがれコンサート、ご参加の皆さまも、
本当に
お疲れさまでした🥂✨

皆さま、お疲れ様でした🥂✨

詩葉ちゃんと、

くるみ割り人形弾きました😉

#ピアノ発表会#北大江たそがれコンサート

#プチエル